小さいころから、未来の世界がどうなるか? ということに興味を抱いていました。中学生のころにパソコンが出現し、その後に、アップルIIなどが出てきました。パソコンは「一人に一台、子どもでも持つ時代が来る」と、そのころから感じていました。私が大学生になった頃は、まだインターネットの商用利用は始まる前です。日本では日本製のパソコンを使っていましたが、米国に留学することが決まったのを機に日本では高価過ぎたアップル社のMacintoshを購入し、テクノロジーの最先端の動向により深く興味を持つようになります。
当時、20~30年後の未来社会を予測したり、人と一体化するコンピューターなどの情報を発信したりしていたアスキーという出版社に興味があったので、アルバイトで働きはじめました。そこで雑誌の連載を任されたのが、この仕事を始めるきっかけになったのかもしれません。
留学していたのはITの中心であるシリコンバレーではなく、中西部のテキサス州。ただし、その分、シリコンバレーの取材だけでなく、さらに未来の研究をしているMIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボがあるボストンやデジタル技術とグラフィックや音楽との融合が進んでいたニューヨークへもアクセスがよく、雑誌の仕事としてその両方を取材していました。まだ20代前半の学生でしたが、その頃からアップル社のCEOのジョン・スカリーやマイクロソフト、IBMの重役などもインタビューしていました。
こうしてITジャーナリストとして常に最先端の動向をおってきたおかげでIT業界についての勘所が養われてきました。最近ではそれを活かして国内のIT系ベンチャー企業数社にてアドバイザーなどの形で関わり、さらには年に2回国内IT企業のトップが集合するイベントにも毎回参加しているおかげで国内のIT企業の経営者らとも交流があります。
ただ、自分ではIT一色ではいけないと常に思ってきていました。幸運にもデザインには非常にこだわりがあるアップル社の取材を続けてきたおかげで、実は工業デザインにも興味が湧き、多くのデザイナーをインタビューしたり、ミラノサローネにもほぼ毎年通っています。
また最近ではデジタル技術の活用が1次産業やファッション業界、医療・製薬業界などに広がりつつあるので、それらの分野の人々との交流も増えてきました。そうして振り返ってみてつくづく思うのが、日本ではすべての業界や分野が「村化」してしまっている、という事実です。
※村化とは、業界・分野が相互交流がないことによって、業界・分野の常識に囚われた狭い視点でアイデアを発想してしまい、顧客のニーズに必ずしも応えてはいない製品やサービスが出来てしまうことを指しています。
イノベーションは0から1を生み出すものもありますが、実は、1と1が結びつくことで起きるイノベーションもあると思っています。ぼくの役割は触媒として、ITだけではなく、それぞれの業界を繋げること。それによって、イノベーションのきっかけを作り出すことだと思っています。
執筆や資料作成の作業では、長時間、座り続けることがよくあります。特に、執筆作業のときは「いかに邪魔されずに集中できるか」という観点で、イスにこだわって前傾姿勢を保てるイスやバランスボール、ヘッドレストの有無などを試してみました。結局、すべてのイスをバランスよく、状況に応じて取り替えていくことがベストだという結論に至りました。カスタマイズができるイスも中にはあったのですが、時間の経過やその日の気分でも心地よさが変化するので、パーフェクトなイスなど存在しないと気づきました。
それであれば、状況に合わせて、場所もイスも変更するほうが座り仕事にはいいのではないかと思います。空間と一緒にイスも取り替える。息の詰まったときに変化をつけることが、いい刺激になると思います。
20世紀のIT革命は人を幸せにしたかというと、必ずしもそうではありません。エクセルやパワーポイントなどで、作業の効率化は図れたけれど、話せば済むことなのに、隣の人とメールでやりとりするような風潮を助長させる側面もあります。内向的で内にこもる人を増殖させるようなテクノロジー革命を進めてしまった結果、頭でっかちで競争好きな風潮が広がり、残業などで逆に不幸になる人も増やしてしまいました。本来、人々の幸福を目指していたはずのテクノロジーが、不幸を押し広げる、という矛盾を抱えていたのです。
2007年のiPhoneの出現によって、インターネット革命がポケットに入るようになりました。あるコンサルティング会社では、部下からの物品購入の申請をゴルフ場で承認してやったなどということが笑い話になったくらいです。自分が好きな場所にいて、友達と過ごす時間を増やしたり、美術館を巡っていても仕事がこなせたりできる。スマートフォンはもっと人間的な生き方ができるようにITを変化させているのではないかと思います。GoogleやAppleが共通して目指している世界は「人がもっと自由になる世界」なのです。
ぼくの場合はパソコン、スマートフォン、タブレットと、まるで車のギアを切り替えるように使用しています。仕事のときには、没入感のある大きなパソコンの画面で集中する。書いた原稿を見直すときには、ソファに座ってタブレットで見てみる。視点が変わるのでパソコンの画面で気づかなかったミスに気づける。出かける時には、電車の中で、立って、スマートフォンでもちょっとした間違いなどの修正が出来る。
このように、自分の気分や状況に合わせて、ギアを切り替えるのも当たり前になりました。そしてギアを変えた結果として、一緒に「座る」も変わっていくはずです。
「もっと自由に生きていい」という人間性の回復の向かっていくのではないかと考えています。
人がより自由になれることが未来の方向性、それが快適に感じる方向性だとしたら、「座る」「イス」ももっと自由になっていくべきです。
一切ルールなしで想像力豊かに言うと、水のような存在ではないですが、形を変え、質感を変え、今この瞬間にその人が心地いいという風に感じるようにサポートするものがイスに求められるものだと思います。
それに向けて、形を変える、座面の形や素材感を変えてもいいかもしれない。
例えば、inFormという3Dディスプレイのものがあります。手の映像がボールを持っている。バーが上下に移動しているのに対して、プロジェクションマッピングで投影している。キネクトで手の動きをセンシングした上で、上下の動きなどを再現している。
どのような動力を使うかの課題はありますが、同じことは出来る可能性がありますよね?
また、ボディエリアネットワークという言葉があるのですが、インターネットはワイドエリアネットワーク、LANはローカルエリアネットワーク、LANの次はパーソナルエリアネットワーク(Blootoothなど)という考え方の次に来るものとされています。
アメリカのproteusという会社があって、小さい端末を飲み込むと唾液でスイッチがあって、体内のケミカル情報をスマートフォンに送り続けます。
そういうセンサーが体につけるもの、体に飲み込むものもあれば、イスもセンサーかもしれない。それが人の体の状態を見ていて、この人は右に負担がかかりすぎていると察知した場合は、右の腰のサポートを強くすることができます。そういうイスもアリかなと思います。
最後に、「座る」ことを考える材料になる一つの視点があります。現在のシリコンバレーのトレンドは「立つ」になっています。オフィスの中に「立ち姿勢」を導入しています。これはシリコンバレー発祥という訳ではありません。北欧に行くと、シット&スタンドデスクがかなり前からありました。元々、北欧は、大量生産したものではなくて、一人ひとりの体系に合わせてのイスが当たり前という文化があります。80年代末から90年代くらい、シット&スタンドデスクが誕生しました。
※シット&スタンドデスクは、一個のテーブルの上の天板が上下に移動するように作られています。
以前、東京にスカンジナビアモダンという会社があり、取材した女性社長が言っていたのは、午前中の仕事は立った状態での使用。メールを処理していると、スピード感が出る。夕方に向けては座って、じっくり作業をしているということでした。そこには共感する部分がありました。
今後のトレンドは「立つ」になっていくと思います。ですから立ち姿勢も含めてサポートすることがこれからの「イス」「座る」に求められていくことだと思います。モビリティにおいても、立ち姿勢も座る姿勢も、自由にできれば、それに越したことがないと思います。