最初に私が専門としている未来予測を簡単に説明しておきましょう。未来予測の背景には必ず意図があります。例えば、BRICSは今でさえ当たり前の概念ですが、あの4つの国をパッケージにしてコミュニケーションを図るのには明確な意図がありました。それは予測を発表することで、新しい市場を作っていくことです。逆のパターンもあります。地球温暖化になる可能性があることを示唆すると、それを防ぐために市場や各プレイヤーが動く。言ったことの予測に対して、逆の方向に進むベクトルが働きます。
つまり、未来予測は、発表することで様々なプレイヤーを動かすことを期待して発表されるものです。そして、あらゆる未来予測のデータには、SVOすなわち I think that ○○、anyone hope that、anyone wish that というように隠れた主語があります。表面上のデータを見るだけでなく、誰がどのような行動を期待している、望んでいるから予測を発表したのかという視点を読み込むことが重要です。
受け取る側は、その戦略的意図を読み込んだ上で、予測をどう捉えていくのかが問われます。そのトレンドをフォローする方向性もあれば、逆張りもできます。予測を見た上でどのように戦略的判断をしていくのかは個人の判断によります。
未来予測を鵜呑みにして振り回されるのではなく、未来予測=戦略的意図を持つメディアであるということを理解し、自分なりの未来観を持つことが大事です。
確度の高い未来の大きな変化がいくつかあります。中でも、「座る」に大きく影響を与えテーマが2つあります。
1つは、高齢化社会、というよりも長寿社会になっていくことです。再生医療の進歩を考慮すると、100歳まで元気に生きていく社会が到来します。それに伴い、彼らがいかに社会参加をしていくかが重要な課題となり、その前提にある「健康」というキーワードがますます重要になっていきます。結果として、「健康」に対して「座る」がどのようないい影響を与えることができるかが問われます。
2つ目は、人工知能の発達とロボットの導入が、われわれの今までの労働を代替するということです。極端に言うと、今までの労働が奪われていく、結果として、働かなくてもいい、という現象に直面していきます。ギリシャやローマ時代の奴隷制(その奴隷が人間ではなくロボット)のイメージです。
そういった社会においては、人間が持つ処理能力の早さが重要視されなくなり、むしろ、その人が持っている人間味、匠の技、長年の経験に基づいて生み出される文化・芸術的価値が重視されるようになります。
そして、時間の概念が変わり、生活が大きく変化します。学校教育でなぜ時間割で学ぶ必要がなぜあったのかというと、産業革命後の工業化社会の中で、工場のマネジメントに基づいて働く必要があったからです。工場の効率を考えると、シフト制にしてその時間の中でいかに効率よく生きるかということが問われています。しかし、文化的価値・芸術的価値を考えたとき、時間通り過ごしているからといって、いいものが生まれるとは限りません。24時間の中でいいものが出る瞬間はそれぞれにあります。ある人は2時間で出るかもしれないし、ある人は24時間考えて出てこないかもしれない。結果として、今までの「何でも早くなくてはいけない」というライフスタイル・ワークスタイルではなくて、自分のペースでゆっくりと芸術・文化的活動を行うような社会に変化していくはずです。結果として、「座る」に関しては、シーンも目的も大きく変わることが予測されます。
それらの変化を考慮すると、「座る」には今までそこまで求めることがなかった「健康をいかに維持、向上させることができるか」「文化・芸術的活動をするときに、それらの活動をサポートできるか」の2点が強く求められるようになっていくと思います。
現在でも1日の中で人が座っている時間はかなり長いと思います。さらに、この先、お年寄りも増えていく中で、ずっと立っていることがより難しくなります。また、ロボット社会になることで労働として立つ時間も少なくなります。必然的に「座る」時間は長くなるはずですし、人への影響も大きくなります。
先ほどの「健康」「芸術・文化」という観点で考えたとき、「座ることで心を満たす」ことができるかどうかという視点が重要です。
肉体的に落ち着けることは現在でも担保されています。しかし、さらに心が落ちつくということが重要なポイントです。現在、肉体的な疾患に関する医療は進んでいるが、メンタルヘルスのケアが非常に遅れているという問題が顕在化しています。精神疾患に関しては、医療が遅れていることの結果として、2030年の一番多い病気は鬱病、精神疾患との予測が出されているほどです。
そこへのケアとして、日常の状態でいかに人が落ち着いていられるか、が重要視されます。その意味で「イス」「座る」が果たす役割は非常に大きいと思います。「座る」ことによってもたらされる一時の居心地のよさが、タバコやお酒などでリラックスをするのと同じくらいの概念として注目されていく必要があると思います。結果として、「健康」「文化・芸術的活動」をサポートする「座る」が実現されるはずです。