TSTech Beyond Comfort

座Interview vol.2 「「座る」ということは、周囲との関係性を決めること。」クリエイティブコミュニケータ 根津 孝太

トヨタ自動車在職中に数々のデザインを手懸け、
愛・地球博では出展車両のコンセプトデザインを担当したznug design 代表の根津孝太氏。
現在も自動車を始め、数多くの工業製品のコンセプト企画、デザインを手懸ける氏に「座る」について話を伺いました。

Profile

根津 孝太Kota Nezu

1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、トヨタ自動車入社。愛・地球博『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年znug design設立。多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発にも取組む。国内外のデザインイベントで作品を発表し、グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞など受賞。2014年よりグッドデザイン賞審査委員。

ロータス・ヨーロッパのシートに座ったとき、世界が変わった

小さいころ、スーパーカーブームがあったんです。小さな男の子って乗り物が好きになることが多いのですが、それに加えて、スーパーカーブームがあって、どっぷり自動車にハマったんですよ。近所の家がスーパーカーを買ったって聞くと、よく知らない家なのにわざわざ見に行ったりしていました。ボクにとってその時の自動車は、憧れそのもの。以来、ずっと乗り物好きなのですが、その始まりはスーパーカーブームだったのだと思います。

スーパーカーブームをけん引した要因の一つに漫画の「サーキットの狼」という作品がありました。そこで主人公が乗っている自動車がロータス・ヨーロッパという車でした。たまたま、近所でロータス・ヨーロッパを買った家があり、当然、見にいくわけです。すると、運よく、運転席に座らせて貰えました。子ども心に嬉しかったですね。あの車は非常に車高が低くて、運転席に座ると目線がものすごく低い位置になります。スーパーカーってこんな感じなんだって、驚いたことを覚えています。外から見るのとは違う、座ったからこそわかる感覚ですね。

自動車は人間の機能拡張 座り方で自動車も変わる

トヨタ自動車時代に、愛・地球博があって、そこで“i-unit”というコンセプトカーのデザインを担当しました。この時のテーマは「人間の拡張」でした。人が動いて出会うこと、その「メディア(媒体)としての自動車」というコンセプトでした。自動車というと、タイヤがあって、エンジンがあって、シートがあってと、ある程度、形が決まってしまっています。でも、そこに「本来の乗物とは何だろう?」という所に立ち返って、改めて考えてみることをしていきました。自動車にITを導入すれば、情報拡張になり、移動したいという気持ちもモチベートできる。では、そもそも移動する機能は?と考えると、足の機能の拡張、エンハンス(機能追加・性能拡張)ですね。自動車が足の機能を拡張してくれる、それが本来の意義だと。それを踏まえてなにができるかが、最大のテーマでした。

「座る」ということは、非常に意味が深いことだと思います。子どものころにロータス・ヨーロッパの運転席に座ったとき、実際にはエンジンはかかっていないし、動くはずがないけれど、マシンとの一体感がありました。座った瞬間、ぼくとロータス・ヨーロッパが一つになったんです。 「座る」ということは、そうすることで周囲との関係を決めていく、そこにあるものと繋がる行為だと思います。レーシングカーの運転席に座れば、そこでできることはレーシングカーを運転することだけ。ある意味強制されていますが、それだけ速く自動車を走らせることに集中できる。実際には機械に過ぎない自動車のボディの隅々が、自分の身体の一部のように感じられる。

これが日常生活で使う車だとまた違います。ベンチシートの車がありますが、これは幅に自由度があるので、自分である程度、座る位置や向きを変えることができる。運転中でなければ助手席に乗っている人と話すためにそちらに体を向けられるし、話したくなければ真っ直ぐ前を見ていることもできる。車の用途によって座り方は変わりますし、座り方で車も決まります。

世の中との関係を決め、自分を拡張する

研究生の今泉栄城、鈴木未希と

以前、東京おもちゃショーに出品したトヨタ自動車の「Camatte(カマッテ)」というコンセプトカーをデザインしました。これは運転席が前の真ん中にあって、後席に2人が乗れる3人乗りの自動車です。とても小さい自動車なので、座ると密着感がすごいんです。運転者のすぐ脇に後席の人の膝があります。でも、乗っている人どうしの親近感がわいて、わいわい楽しんで移動することができます。座り方次第で自動車というものは全然違った空間になるんです。広い自動車もいいですが、狭いところにぎゅっと寄り添って乗って、一緒に同じものを見る、自動車というメディアの本来的な価値に立ち戻った提案です。

戦闘機のコックピットのシートは究極ですね。飛行機を操縦すること以外は一切できないし、そのためだけにコックピットはできている。座った瞬間に戦闘機と一体化せざるを得ません。狭くて乗り心地が悪いのですが、だからこそ、操縦に集中して、マシンと一体化できる。ああいう「座る」は、どこまで機械と対峙するのか、一体化するのかという点に集約されていると思います。

一方、ロッキングチェア。これも周囲との関わり方を決めています。ロッキングチェアに座っている人って、自分の世界でリラックスしていて、他の人の介入を余り望んでいないように思えます。ネガティブな意味ではなく周囲を拒絶しているイメージがあります。座り方を変えることで、周囲との関係を決める、つまり、自分の境界線や結界を決めているということだと思います。

もう1つの視点として、イスはただ座るものではなく、一種のインターフェ-スだと思っています。人間には目、耳、肌の触覚などの入力デバイスがあって、口、手足などの出力デバイスがあります。自動車を運転すればわかりますが、路面の状態など、音だけではなく、シートに伝わってくる振動などで情報を受けとっています。座ることで周囲との関係を決めて、座ることで周囲と接しているんです。

「座る」ということは、人間の体の機能や感覚をエンハンス(機能追加・性能拡張)することだと思います。同じイスに座っても、座る向きを少し変えるだけで、座り心地はまったく変わってしまいます。前のめりに座っている人は、目の前の人と積極的にコミュニケーションをとりたいのでしょうし、体をずらして座っている人は、リラックスして話をしたいのかもしれません。どのようなものにどのように座るかで、世の中との関わり方が変ってくるってとても面白いと思います。座るということや、そのためのイスを考えることは、人間そのものを考えることにつながります。